2013年3月29日金曜日

消えていってしまう場所についての備忘録


 先日、部屋を掃除していて高校時代のノートが出てきました。ぱらぱら読み返してみると、記憶の奥でねむっていた高校時代の思い出がホコリくさい木造二階建て校舎と共に鮮やかに甦ってきました。

 我が母校「多摩高」の校舎は去年から建替え工事が始まっています。建替えの理由は、建物が木造で老朽化しているからとのこと。完成予想パースをみてみると、建物の配置はもちろん、校庭やテニスコートなどもすべての配置が変わっていて、現校舎の面影はどこにもありませんでした。学校の象徴的な存在でもあったあの愛すべき道、通称「アベック通り」も、計画案のなかのどこにもそれらしいものは見つかりません。

http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f6558/p500992.html

 建物が老朽化しているから建替えるという理由は、一見正しいことのようでどこか違和感があるのは僕だけでしょうか。マー、確かに多摩高の現校舎は危ない。確か、正門の前にあった緊急避難場所を示す看板も、目の前の高校ではなく近所の中学を指し示していたような記憶が・・・。半世紀前の木造建築。そりゃ建て替えもしょうがないことだとついつい僕だって思ってしまいます。ですが、老朽化を理由に建て替えを決断して本当によいのだろうか。あるいは老朽化を建前に建替えの「正当性」を主張していいものなのだろうか、そして僕らまわりの人間はそれで納得してもいいのだろうか。仮に百歩譲って建替えOKだということにしても、こんな建替え案でよいのか。この案は明らかに多摩高の文化を校舎の建替えを通して初期化してしまっているように思います。

 現校舎は学校の創設以来そこに半世紀の間存在し、学校の校風や文化に影響を与えてきたわけで、色々なものを蓄積してきたわけです。場所の使い方そのものが、その共同体の文化を形作り、それが受け継がれて展開していきます。
 例えば、体育祭の組と校舎の関係について。多摩高の体育祭は、自分が生まれた季節によって組が振り分けられます。僕は8月生まれなので夏組でした。その昔、どのように組み分けをするかということが話し合われたとき、色々な案が出たらしいですが、3年間同じ組みでいられるということと、校舎が4棟あって各組が各校舎を一棟づつ体育祭準備のために使えるということで、クラスでもなく紅白でもなく、季節で組み分けがされるようになったとのこと。それ以降、多摩高では代々夏組が一番手前の校舎、秋組が二棟目、冬組が理科棟、春組が一番奥の通称「奥多摩」と呼ばれている校舎で準備をするようになりました。各組にそれぞれ賢い校舎の使い方があったわけです。
 組み分けと校舎の例は一番わかりやい例のひとつですが、多摩高に限らず、空間/建物とその場の文化にはそれなりの関係性があるわけです(明示化されているものからされていない無意識的なものまでたくさんあると思います)。そういった共同体の文化や精神性は、曖昧になんとなく感じるとかいうようなヤワなものではなく、物質的な環境を媒介として確実にそこに存在するものとして脈々と受け継がれるもので、空間のリセットはそこに現前としてある精神性や意識化されていない微細な文化や記憶を一度キャンセルすることを意味します。

 僕らの生きている社会は、場所や空間から他者の記憶を引き出す能力や臭覚を急激に失ってはいないだろうか。

 多摩高の話は、僕個人のセンチメンタルな気持ちの至極私的な問題かもしれないけれど、これは明らかに社会の縮図なんじゃないだろうかと最近の東京の色々な変化を体験しながら少しずつその思いが大きくなりつつあります。ぱらぱらとノートを見ながら、建替わる校舎のことを想像しながら、僕は何かわからないけど時間か、文化か、記憶か、なにかの明らかな断絶を感じました。

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 話はちょっと変わるけど、木賃アパートについて。木賃は社会的には圧倒的に弱い存在です。一般的な常識から考えたら耐震性・防火性、経済性など様々な条件を考えても残して使い続けていくほどの理由はわずか。一度キャンセルして建替えてしまった方が効率的には圧倒的に正しい。

「木賃アパートをわざわざ改修して使いつづける必要があるのか?」

 よく色んな人からこの問いを聞かれるけど、合理的で分かり易い答えを返すつもりは僕個人としてはあまりありません。そもそも木賃アパートを残しておく合理的理由なんて実はないんじゃないかと思っています。わかりやすい理由があったとしても、それは本質的なこととはたぶん違って、木賃アパートを改修するという合理的理由はもっと「プレゼンテーション」とか「営業」とか「インタビュー」とかそういうことと関係あることで、僕たちがモクチン企画をやっている本質的理由はそこにはない気がしています。

 スピードにのった合理性と経済性を手にいれるのと引き換えに、僕らはたくさんの場所と空間を失い、同時に断片的な潜在化した微細な記憶を失っていて、日に日に僕らの思考も身体もこのスピードに慣れてきているように感じます。下北沢駅が地下化したその日から何のトラブルもなく、まるで今までそうであったように駅も人も普通に機能していてなんだか残念に思ってしまいましたが、副都心線からそのまま代官山に行ったときは、驚く程スムーズで「快適だなー」と便利になったことに素直に喜んでしまいました。

 歴史的に東京は、何度も都市レベルで断絶が起きているらしい。災害とか戦争とか。そういう意味でも東京では、都市そのものは記憶装置として、文化を蓄積する場として機能しないのかもしれませんね。

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 クリストファー•アレグザンダーという僕の好きな建築家がいます。彼は豊かな都市空間を生み出すには「漸進的成長」が必要だと主張しました。簡単にいうと、ゆっくりとした適切なスピードで少しずつ改変しながら都市を更新することが必要だということです。これは空間原理主義的な立場に陥ってしまうと、魅力的な路地とか建物の集まりの作り方をどうするかという即物的な造形論として興味が集中してしまいますが(実際アレグザンダーの書物ではそう受け取れなくもない)、しかしアレグザンダーの漸進的成長という主張は、共同体の記憶を物質的存在として目の前にある街を通して引き継いでいく上で重要なアイディアだなと思っています。記憶の継承と、物理的環境の更新のスピードは密接に結びついているらしい。

 東京というまちが物質的に記憶を継承するような仕組みを持ちようがないなら、僕らはどうやって成熟していけばいいのだろうか。最近、なんとなく時間や更新スピードが鍵を握っているんじゃないかと考えているけど、実際はよくわかっていません。

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 先日亡くなった二川幸夫氏の「日本の民家 一九五五年」に会期ギリギリ滑り込みで行ってきました。たぶん、展覧会で凝視した58年前の多くの風景が既にもう写真のなかだけの存在になってしまっているのでしょう。そんなことを考えながら匿名的な圧倒的多数の先達から受け継ぐことができなかった「記憶」の数がどれだけあるだろうかと想像してみたら、なんだか軽い目眩がしてきました。


新年度前でちょっとセンチメンタルな気分です。

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